NOW#05 設計者として考えること / 森雅

初めまして、森(2002年大学院卒「服部研究室」)と申します。

アーキバウとの関わりは今年の新年会からです。アーキバウという組織は世代も広くとても有意義なグループだなと感じています。今回は、このような機会をいただいたのですが、幅広い世代ということもあり、テーマをどうするか悩みましたが、皆さんとの共通言語のひとつである「建築」その建築に対する姿勢を簡単に記させていただき自己紹介とさせていただきます。

1)営為の総量

千葉大学大学院を卒業し、村上晶子アトリエ時代約10年間で7棟の教会建築の設計に従事していました。

宗教建築というと日本人にとっては寺社仏閣をイメージして公共性が強く、非常にシンボリックでデザイン性を最も重要視するような建築をイメージするかもしれません。しかし、教会建築は対外の場合それはあてはまりません。

教会は、所属する信者さんの寄付金等を資金とするため、信者さんはそれぞれが自分のお金で建てる自分の空間であるという意識があります。例えば信者が500人いれば、500通りの希望の教会が出てきます。そのため多くの意見を集約し、共通の認識を醸成する為に長い年月を費やします。平均して15年~20年くらいの期間をかけて教会建築を行います。まずは教会がイメージする未来の教会の規模を想定し、予算を立て、集金方法を考えます。同時に教会内の意識を向上させるために様々な勉強会を行い、いろいろな教会を見学し、設計者を調べます。数人の設計者を対象にプロポーザルコンペを行うこともあれば、特定の設計者を選定したりします。そして、プロポーザルで指名を受けてからも設計者が工夫して約1年半の期間で基本設計をまとめるために10回ほどのワークショップ(以下WS)を行い、教会内の意識を高めるお手伝いをします。

こうした建物が工事に入ると、不思議なことに信者の思いは現場に伝わります。ある現場では、記念になるからと現場の方から提案を受け、躯体の裏に信者さんの子供たちに絵を描いてもらいました。工事中に一般の人を入れると事故のリスクが大きくなるのに、こういう提案を現場の方がしてくれたのには驚きました。また、内装の木工事の途中で信者さんが見学に来た際に、余った材料でここもう一つ収納つくりましょうか?家具屋さんが話しかけてきたことも。

「営為の総量」の差がよい建築かどうかを決定する1要素である。つまり、その建物建設に関わる人々の営為(熱量)が多ければ多いほど、よい建築である。教会建築での体験を通して、そんな風に感じています。

2)いつまでも美しく

教会建築に限ったことではありませんが、私が建築設計を始めた時よりメンテナンスが容易でいつまでも美しく建物を存在させることの重要性が問われることが増えてきたと思います。新しくできた建物を見るとき、素材の使い方は面白いけれど、どうやって掃除するのかな、とか。古い建物なのに外壁がキレイだな、そうかほんの少しでも笠木の出をとっているからだな、とか。私たちが考える建築設計とはデザインを考える上でコンセプトをつくり、それを建物へと昇華させる行為だと考えています。しかし、建物そのものをコンセプトとして表現し、美しくありたい街並みにとって負の遺産となる建物も多く見てきました。デザインの好き嫌いは別として街並みの中で長い間美しいたたずまいを残している建築はよい建築だと思います。

人には気が付かないかもしれない小さな気遣いを積み重ね、日本の気候風土に合った長く人々に愛される空間をつくり続けていきたい。

そんな思いを服部研究の同窓生と共に5年前に設立した事務所名前「宇(ソラ)」に込めています。詳しくは、事務所のHPに掲載していますので読んでみてください。

 

3)味わい

私は、自称(?)イクメンです。共働きのため、私の家事分担は、朝~子供を送り出すまでと休日の家事すべてとなっています。具体的には、洗濯、朝食、お弁当(昼食の準備)、朝の掃除まで、休日は、基本的にすべての家事。毎日6時前に起きて愛する2人の子供のためにこのルーティンを10年。結構家事のこともわかってきました。最初は、2合もたいておけば家族4人まかなえたご飯も現在では4合でも足りない。おかずも少量でよかった時期を過ぎ、すでに私より食べるようになってしまった。それでも意外と家事にとられる時間はほとんど変わっていない、というか、短くなってきています。
その理由の一つには、レシピサイトの充実により食事のメニューを考えることが楽になったことがあげられます。冷蔵庫の中の食材を使ったレシピをググればすぐにたくさんの見映えの良いおいしそうな写真の数々。最近はレシピ動画サイトもできて、短時間でインスタ映えのする料理ができてしまう。しかし、です。レシピ通り調理してできあがった料理、たしかに見栄えはよいのだが私たち家族の舌には、少々味が濃すぎる。いや、こういう味付けを好みとされている方もいるのだろうが、それぞれの好みに合うように結局アレンジは必要ということ。巧く撮られた写真や映像につい騙されてしまうのです。

私は、建築の仕上げを選択するに当たり、見栄えだけでなく、触れたりするものの色合いや「肌ざわり」を大切にしています。「肌ざわり」とは、質感がその感覚の多くを占めますが、それだけではない、そのものがそこにあることによってその空間に及ぼす空気感のようなもの。ですから、PCや写真を見ただけは、判断できない料理の味と似たような感覚。

ネットを通してお手軽にいろんな情報も実際のモノも手に入ってしまう時代、でもそれをお手軽に選択して寄せ集めただけで作ったものに果たして、味わいのようなものは生まれるのか。実体験にもとづく感覚を大事にしたい。そんなこと言っていると時代に置いてかれちゃうのかもしれませんが、そんなことを思いながら、仕事をし、生きてます。